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「陳家私菜」の頂天石焼麻婆豆腐=2025年3月31日、東京都千代田区、藤原伸雄撮影

 石鍋の中でぐつぐつと煮立った麻婆豆腐。ゆっくり口に入れると、しびれるような辛さの奥に深いうまみがある。東京都内に八つの店舗がある、四川料理を主とした中華料理店「陳家私菜」の看板料理だ。使われている25種の香辛料は、オーナーシェフの陳龐湧(ちんばんゆう)さん(62)が季節ごとに中国を訪れ、自ら仕入れてきた。

 陳さんの店は、本場の味が楽しめる「ガチ中華」の草分け的存在の一つとして知られる。

 上海生まれの陳さんが、料理に関心を持つようになったのは、食通だった祖父の影響だ。祖父は1949年の中国建国前に酒造業などで財をなし、レストランも経営。しかし、60年代から始まった文化大革命で「資産階級」として批判され、財産も名誉も失った。

 失意の晩年。それでも祖父は明るさを失わず、陳さんを連れてよく街に行き、おいしいものを食べさせてくれた。老舗ホテルの中の四川料理店で食べた麻婆豆腐のおいしさは今も忘れられない。「私の店の麻婆豆腐は、祖父と一緒に食べた味を再現しようとしているんですよ」

 88年、25歳のときに留学生として、陳さんは来日した。上海の映画館で「男はつらいよ」を見て、日本人の人情に引かれていた。しかし、日本の現実は厳しかった。

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「陳家私菜」の陳龐湧さん=東京都千代田区、山根祐作撮影

「これは麻婆豆腐じゃない」

 学費と生活費のためアルバイトを三つ掛け持ちし、始発の電車で出て終電で帰る毎日。たまたま入った中華料理店で麻婆豆腐を食べた。甘くて香辛料もほとんど使っていない。

 「これは麻婆豆腐じゃない」

 当時周囲には、中華料理と言えば、味は二の次、安くて量が多く満腹になればいいと言う人が多かった。「日本でも本物の中華料理を食べてほしい」と思うようになった。

連載「異国食堂 ガチグルメ in Japan」

念願の自分の店を開いた陳龐湧さん。ついに「本物」の麻婆豆腐を出したのに、店には閑古鳥が鳴きました。ところが、やがて「自分でも不思議だった」という変化が生まれます。記事後半では、新世代のガチ中華の都内の店も紹介します。

 社会人になり商社で通訳として働いたが、料理の道への思いは募った。職を辞してホテルの厨房(ちゅうぼう)に入り修業。95年に自分の店を開き、「本物」の麻婆豆腐を出した。ところが「こんなに辛い料理は食べられない」と言う客も。店は閑散とする日が続いた。

 ただ、徐々に常連客もできて…

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